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2008年03月 アーカイブ

2008年03月11日

戦後の相撲

こんな事って信じられますか。
すさまじい歴史がここにありました。

戦後には、各部屋の離散状態、又は本場所開催などに対して連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に許可を仰がなければならないなど様々な問題を抱えながらも大相撲の復興は始まる。1945年(昭和20年)9月に土俵を4.84m(16尺)と大きくし、焼失した両国国技館を若干修復し、本場所の秋場所(11月:10日間)が開催された。なお土俵については力士会の反対でもとの大きさ4.55m(15尺 すなわち現在の土俵)にもどされた。1946年(昭和21年)に両国国技館が連合国軍最高司令官総司令部によって接収されメモリアルホールとして改装された。そのこけら落としとして、同年の11場所(13日間)が行われた。連合国軍最高司令官総司令部によって本場所開催を年3回認められたが、メモリアルホールを使用することは許可されず、1947年(昭和22年)には明治神宮外苑相撲場にて行うこととなる。青天井のこの相撲場では正月場所は行われず、6月、11月、又は1948年(昭和23年)の5月をそれぞれ執り行うに留まった。同じ年の1948年(昭和23年)の秋場所(10月:11日間)には、戦後初の大阪場所が大阪市福島公園内に建築された仮設国技館で開催された。この時期に、優勝決定戦や三賞制度の制定、東西制から系統別総当たり制への変更が行われた。
1949年(昭和24年)になり日本橋の浜町公園内に仮設国技館(木造)を建設し、ようやく1月場所(13日間)を開催する。5月場所では戦後初めて15日間行われ、以後興行期間は15日間となる。この浜町公園の仮設国技館は公園内に設置されていたことが問題となり、この2場所しか使用されず取り壊しとなった。そのため戦前に次期国技館建設用に用意していた蔵前の土地に仮設国技館を建設することとなる。ところがこの浅草蔵前仮設国技館(蔵前国技館)も消防署からの命令によって仮設であっても鉄筋造りの国技館が必要となった。その為、蔵前仮設国技館の鉄筋化をはかり、その後5か年計画として年々充実されていった。
1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)は、本場所(1月、5月、9月)各15日間行われた(ただし1952年(昭和27年)には大阪場所が行われず、すべて東京での開催であった)。大阪場所は、1950年(昭和25年)の秋場所より開催地を阿倍野区に、1951年(昭和26年)の秋場所からは大阪市難波(今現在の大阪府立体育会館のある場所)にそれぞれ変更し、仮設国技館が建築されたが、最終的には1953年(昭和28年)に仮設国技館を立替て、大阪灘波府立体育会館(旧大阪府立体育館:現在の府立体育館と同じ場所)を完成させた。同年3月に大阪場所を行い、以後3月場所は大阪場所を行うようになる。
横綱の相次ぐ不成績が問題となり、1950年4月に有識者からなる横綱審議委員会が発足した。1957年には理事長に重要事項の建議を行える「運営審議会」も発足し財界トップや政治家が名を連ねた。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年03月22日

唐津・ひき逃げ被害の家原君 


本当に凄いなぁ。
もっと元気になって野球頑張ってください。


苦難を克服 リハビリに耐え卒業 閉校の小学校分校「中学で野球を」

 佐賀県唐津市厳木町の山中で2006年5月、車にひき逃げされて重傷を負い、奇跡的に助かった家原毅(つよし)君(12)が21日午前、厳木小広川分校を卒業した。苦しいリハビリにも耐えて心身ともに元気になった。分校は児童数の減少で今月末閉校するが、毅君の笑顔が最後の学舎を明るい雰囲気に包んだ。

 午前10時からの卒業式に、毅君は少し大きめの下ろしたての学生服で臨んだ。全校児童4人のうち2人が卒業生。毅君は卒業証書を受けた後、参列していた両親に向かって「お父さん、お母さん、今までありがとうございました」と大きな声で感謝の気持ちを口にした。

 毅君は山道を自転車で帰宅途中にダンプカーにはねられた上、運転していた男により3キロ先の林道に放置された。家族らが約7時間後に発見したときには意識がなく、脳挫傷を負っていた。

 「友だちと遊べないことが一番つらかったでしょうね」。長く続いたリハビリを父の定生さん(50)は振り返る。週2、3回、パズルなどを使う地道な脳機能の訓練に通った。病院に付き添う母の由美さん(43)には、たびたび「行きたくなか」とぐずった。

 遊び盛り。心には常に「皆は遊んでいるのにどうして僕だけ…」との思いがあったという。だが、「本人が根気よく頑張った」(定生さん)結果、昨夏に定期的な通院は終わった。2年前より身長は10センチ近く伸び、体重も約5キロ増えた。昨年11月には学校の行事で海辺の施設に泊まる合宿にも参加。数キロを歩くラリーや、ボート体験などを楽しんだ。

 今では、ほかの子どもと変わりない生活。由美さんは「今はもう特別扱いしてほしくない。毅もそう思ってるんです」と話す。事件から退院までの記憶がほとんどなく、当時を思い出して悩むことはほぼないという。

 進学する厳木中は全校生徒約150人。「野球部に入りたい。そして、たくさん友だちをつくりたい」。毅君は笑顔を輝かせた

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