徳川家大好きです。
もっといろんなこと知りたいです。
江戸幕府の支配体制は幕藩体制と呼ばれ、中央政府である幕府と地方政府である藩の二重支配になっていた。地方は将軍が任命・承認した大名が藩を形成し、支配していた。なお、将軍の直轄地(天領)では大名の代わりに代官を置いた。ただし、「天領」「藩」の用語は江戸時代においては公式文書で使用されることはなく、明治維新後に正式用語として認められたものである。また幕府も「(御)公儀」と呼ばれていた。広義の幕藩体制は明治4年(1871年)の廃藩置県をもって終焉する。
江戸幕府の支配下、各藩に対しては、大名に参勤交代制度を強いたり、治水工事を命じるなどして、大きな財政負担を与えることで弱体化し、江戸幕府に対して反抗できないようにする政策を執った。政治機構内においては初代家康と二代秀忠、三代家光、五代綱吉、八代吉宗、十一代家斉の治世は将軍親政で政治が行われたが、それ以外の将軍は幕閣に政治を任せるか、前将軍(または将軍の父)である大御所に唯々諾々と従う存在であったかのように言われている。しかしこれは徳川期及び明治大正期における大いなる誤解である。各代の徳川将軍は能力・結果の優劣は別としても、それぞれにおいてそれなりに政治に関与していた事実は確かであり、また逆に完全に独裁者として振る舞っていた訳でもない。歴代将軍の中でも一番独裁性の強かった徳川家康の治世においても、諌言したり政策立案する幕閣は存在したのである(家康はむしろ諌言する家臣を好み、また意見の相違で家臣とつかみ合いの喧嘩をする事もあった)。また逆に三代将軍徳川家光の場合、治世の初期は大御所・徳川秀忠に従う存在でしかなく、秀忠死後は政治のかなりの部分を幕閣に任せており、家光が親政を行ったというのは幕閣がそのように宣伝した結果であるとも言われている。基本的にどの治世においても将軍は完全な独裁者、もしくは(将軍が幼少の場合を除き)幕閣の完全な傀儡という状態ではなく、老中を中心とする幕閣による合議で決定された事案を将軍が決裁するシステムが存続した。
八代将軍徳川吉宗は、歴代将軍の中でも出自など特殊な点があり、また自らを持って徳川将軍家中興の祖という意識があり、徳川家康による開幕以降最大の幕政改革を行った。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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